自動車評論家の方が書かれた「本当は怖い? 初の死亡事故が起きたクルマの自動運転、意識改革必要か」という記事を紹介します。
この記事を読む限り、自動運転がONになっているときは、“ドライバー自身が最後のセーフティネット”で、むしろ集中力を高めなければならないことがわかります。自動運転の実用化はまだまだ先でしょう。
最近、AI、AI、IoT、IoTなどと騒ぐ方もいます。ですが、本質を捉える力を磨き、判断力を向上させるなど、人間としての素養を高めることが、いつの時代も重要なのだと感じます。
http://trafficnews.jp/post/54441/
2016年6月30日(木)、クルマの自動運転機能による初の死亡事故が発生したことが明らかにされました。
事故が起きたのは今年5月7日。アメリカのEV(電気自動車)メーカーであるテスラモーターズの「モデルS」が、中央分離帯のある幹線道路を自動運転で走行中、前方で交差点を左折しようとしていた大型トレーラーに衝突したと説明されています。
そしてこの事故発生時、ドライバーがDVDを鑑賞していた可能性があるとも報道されています。目撃者によると事故後、車内のポータブルDVDプレイヤーから『ハリー・ポッター』が流れていたとのこと。
私(清水草一:首都高研究家)は今年1月、テスラ「モデルS」の自動運転を体験し、大きな衝撃を受けました。理由は、多くの記事にあるようにその優秀性に驚いたからではなく、「メチャメチャ怖い!」と感じたからです。
私が恐怖を感じたのは、運転したのが2時間程度で完全に慣れるには至らなかったこともあるでしょうが、それだけではありません。
テスラの自動運転において、ステアリング操作はおもに道路上の白線をセンサーが認識することで行われ、ドライバーがステアリングに手を添えていなくても機能します。
しかし白線が薄くなっていたり、消えていたりすると機能しません。私が試乗した首都高上やお台場周辺の一般道に白線が不鮮明な個所はいくらでもあり、それがカーブだと、自動運転によるステアリング操作が一瞬遅れるように感じました。実際、見失っているのかどうか厳密なところはわかりませんが、もしそこで曲がらなかったらぶつかってしまうかもしれませんから、そのたびにステアリングへ手を戻し、自分で操作しました。それはほとんど“肝試し”で、自分で運転するよりはるかに高い集中力を要しました。
つまりドライバーは常に「白線の濃さ」(!)に集中し、前方に白線が薄い部分を発見したら、クルマが行くべき方向を見失うのに備えて、いつでも自らステアリングを切れるよう“心の準備”をしていなくてはなりません。
自動運転がONになっているときは、“ドライバー自身が最後のセーフティネット”です。いわゆる「自動ブレーキ」は、“人間のミスをカバーする機械的なセーフティネット”ですが、自動運転の場合、その順序が逆になるのです。
しかもドライバーには「クルマが危機を回避してくれるはず」という予断があり、危ないと思っても、「いや、もう少しクルマにまかせよう」と思ってしまいます。たとえわき見をしていなくても、その分、ブレーキを踏んだりステアリングを切ったりする動作が遅くなる可能性が高いのです。
テスラ社に限らず、現在の自動運転技術はまだあくまで「ドライバーをサポートするもの」です。では、ドライバーが介在する必要のない「完全自動運転」が実用化されるのはいつでしょうか。
それは「自動運転による事故の確率が限りなくゼロに近づいたとき」としかいえません。特に、一般道における自動運転は歩行者や自転車という不確定要素が存在しますから、ドライバーが“最後のセーフティネット”として待機しない限り、なかなか難しいでしょう。
たとえリスクが限りなくゼロになっても、万が一の事故の際には、誰かが責任を取らねばなりません。免許を持たない高齢者が通院に自動運転車を使えるようになるのは、かなり遠い未来のことだと予想します。